Open today from 10:00am to 5:00pm
lt en jp

1939年9月第二次世界大戦が勃発し、ドイツと旧ソ連はポーランドを占領し、約12000人のポーランド系ユダヤ人は当時まだ独立国であったリトアニアに避難しました。2か月後の11月23日、杉原千畝領事代理はカウナスに日本領事館を開設しました。ここが、のちに何千という第二次世界大戦の亡命者にとって新しい人生の門となる場所です。リトアニアにいた亡命者たちは、安全な場所を探し、戦争の危険が及んでいない国に亡命を望み、リトアニアで彼らは外国のヴィザを得ようとしました。しかし、1940年6月に旧ソ連がリトアニアを併合し、ナチドイツがヨーロッパの大部分を支配しました。戦争亡命者にとって、生き延びるほぼ唯一の手段は、旧ソ連を通って、日本に辿り着くことでした。何百人もの亡命者たちが 杉原千畝領事代理のもとを訪ね日本への通過ビザの発給を嘆願し、彼の肯定的な回答を待ちました。


旧ソ連によるリトアニア支配のあと、旧ソ連は、カウナスにあるすべての外国の大使館を閉館するよう通達しました。そのような状況を見つめながら、杉原千畝はできるだけ多くのヴィザを発給するよう急ぎました。1940年7月から8月にかけて、外交官は日本領事館で一日に18時間働き2193通の手書きのヴィザを発給したのです。証人によると、ドイツに出発する前、カウナスーベルリン間の列車においてさえ、杉原千畝はヴィザを書き、列車の窓から署名したヴィザを投げ渡したということです。6000人近い人々が、多くはポーランド系ユダヤ人ですが、このヴィザを使って亡命したといわれています。