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歴史的背景:

 

1933 年1月、ドイツ、帝国議会選挙において国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が44%の票を得て勝利した。ヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命 した。1934年ヒンデンブルグ大統領が死去した後、ヒトラーは大統領府と首相府を統合することにより独裁者になった。

 

難民:

 

ユ ダヤ人のドイツ社会への急速な融合は18世紀末に始まり19世紀中続いた。ドイツは、この融合が最も広範に行われた国の一つであった。1918年から 1933年の間存続した、ワイマール共和国では、ユダヤ人は、全ての市民権と政治的な権利を保障された。彼らは、政府から差別を受けることはなかったが、 極右の不満は増加していった。

 

杉原千畝:

 

1924年、在ハルピン日本総領事館職員に任命。

 

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歴史的背景:

 

1936 年はドイツのナチスが攻撃的な外交政策を始めた年とされる。この年、ナチスは非武装地域であるライン川地域を占拠する。1938年3月12日、オーストリ ア併合。同年9月28日、チェコのズデーテン地方を併合。翌1939年3月15日、チェコスロヴァキアが併合され、同年3月22日、メーメルが併合され た。(注:メーメルは現リトアニア共和国クライペダ市)

 

難民:

 

1935年、ドイツでユダヤ人差別の始まりとなったニュルンベルグ法が可決された。同法は4世代前までの親族にユダヤ人が入っていた場合、公職に就くことが認められない等、市民権の制限を規定するものであった。

 

杉原千畝:

 

1933年、満州鉄道の課長に任命。

 

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歴史的背景:

 

1939年8月23日、モロトフ-リッペントロップ協定が署名された。それにより中東欧諸国はナチス・ドイツとソビエト社会主義共和国連邦に割り振られた。リトアニアは独ソ不可侵条約により1939年9月28日に全領土がドイツの支配下になった。

 

難民:

 

占 領地域においてナチスは、ユダヤ人を差別し二級市民として扱った。ユダヤの移民は1938年11月9日から10日にかけて起こった「水晶の夜」(ナチスが ユダヤ人に対しドイツ各地で行った組織的迫害、商店などの破壊されたガラスにちなむナチスの用語、現在ではPogromnachtと呼ばれている)によっ て加速した。この事件の後、ドイツやオーストリアからユダヤ人の他国への移住が増加したが、ビザを取得するのは簡単なことではなかった。1938年にはド イツとオーストリアから3万6千人のユダヤ人が移住した。1939年には更に7万7千人が移住した。

 

杉原千畝:

 

1934年、満州鉄道の課長職を辞任。

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歴史的背景:

1939年9月1日、第二次世界対戦勃発。

 

難民:

 

1939 年9月17日、第二次世界大戦勃発直後、ナチスがポーランドの大部分を占領したので、ユダヤ人避難民は、近隣の独立国であるリトアニアに安全を求めて移動 した。他方、リトアニアは間もなくソ連軍に占領された。1939年初夏、避難民の数は増加した。9月17日にソ連軍がポーランドに侵攻し、人々は、ソ連共 産党員から逃れ始めた。

 

杉原千畝:

 

1937年、通訳官として、ヘルシンキの在フィンランド日本大使館勤務。

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歴史的背景:

1939 年10月10日、相互援助協定が、リトアニアとソ連の間で結ばれた。これによりリトアニアは、赤軍(ソ連軍主体)の受入を認めることを条件に古くからの首 都であったビリニュスがリトアニアに返還される。当時のビリニュスの住民の多くは、ポーランド人、ユダヤ人そしてロシア人である。

 

難民:

 

1939年10月14日、ユダヤ人を中心とする戦争避難民が大量にリトアニアに流入した。また、依然として独立国であったリトアニアからであれば他の国に移住しやすいのではないかと思われた。多くのユダヤ人学校がやがて訪れる脅威から逃れるためリトアニアに移った。

 

杉原千畝:

 

1939年、リトアニアの副領事に任命。

 

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歴史的背景:

1940年6月15日、ソ連がリトアニアを占領。夏の終わりにはリトアニアの独立は全く失われ15ヵ国目のソ連の共和国となる。

 

難民:

 

1940年4月6日、ソ連がユダヤ人のソ連領土内の通過を認める。「冬戦争」が始まる。避難するためには、ソ連領土内を通過する方法以外に残されてはいなかった。

 

杉原千畝:

1940年夏、ユダヤ人避難民に対し査証を発給し続ける。