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ヤン・ツバルテンディク

1938 年、ヤン・ツバルテンディク(1896年-1976年)は、オランダ企業「フィリップス・電機会社」(カウナス所在)のリトアニア代表になった。1940 年6月14日、ラトビアのリガに駐在していたバルト三国へのオランダ大使L. P. J. デ・ デッケルがツバルテンディクを在リトアニア・オランダ名誉領事に任命した。この翌日、ソ連はリトアニアを占領した。

A. M. デ・ヨング

リガに駐在していたデ・デッケル大使は在リガ・オランダ大使館の閉鎖後、スウェーデンに転勤した。彼はストックホルムに駐在していたオランダ領事、A. M. デ・ ヨングに「キュラソー・ビザ」の発給について話した。すぐにリトアニアや他のバルト諸国から「キュラソー・ビザ」発給依頼の電報、手紙や写真がスウェーデ ンに届くようになった。デ・ヨングもヤン・ツバルテンディクと同様、「キュラソー・ビザ」がキュラソー島への上陸許可につながらないと認識していたが、 1941年初旬、400通もの「キュラソー・ビザ」を発給した。しかし、残念ながら彼が発給したビザは、発給の遅延等を含む様々な理由によりほとんど利用 されることはなかった。

L. P. J. デ・デッケル

オランダ外務省員として34年間勤めたL. P. J. デ・ デッケルは、ヨーロッパ、アジア、中東の各国で外交官として勤務した。1939年にはバルト三国オランダ大使に任命され、ラトビアのリガに駐在した。ソ連 が外国領事館を全て閉鎖した後、L. P. J. デ・デッケルはストックホルムに転勤した。ヤン・ツバルテンディクにいわゆる「キュラソー・ビザ」を発給するよう指示したのも彼である。