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ソ ビエト連邦リトアニア共和国から出発するために、戦争難民は日本の杉原千畝領事が発行する通過ビザを取得する必要があった。領事館の入り口に集まった多く の人々を見て杉原は、ザラフ・バルハフティクが率いる5人の代表を受入れた。彼らは杉原にポーランドにおける状況を説明し通過ビザの発給を頼んだ。杉原 は、ポーランドの市民であることが証明でき、日本に滞在しないと確約することを条件にビザの発給に同意した。

 

1940 年夏、多くの外国領事館がソ連によって閉鎖される中、J. ツバルテンディクは、L. P. J. デ・デッケルオランダ大使の許可を得てカリブ海のキュラソー島が戦争避難民の最終目的地であることを証明する、いわゆる“キュラソービザ”の発給に同意し た。更に難民はロシア社会民主労働党から出国許可を得る必要があった。その後、彼らはシベリア鉄道の切符を購入し、長い旅に出発することができた。